「買う」から「つくる」へ、
石巻でライフスタイルを大転換
moritoki森 佳代子さん
巻組との関わり
巻組の初期の運用物件「Shared House八十八夜」に入居
巻組主催のワーケーションプログラムでワークショップを開催
■震災ボランティアを経て石巻のNPOへ転職
生まれは兵庫県です。2012年に東北へ来るまでは、大阪や東京で仕事をしていました。現在は石巻市を拠点に、エシカルコスメの販売・ワークショップ開催、リトリートや農林漁猟体験などを提供。「自然と調和して生きることを実感する」をコンセプトに、森と人との接点づくりを行っています。
石巻に移住したのは、それから2年が経って2014年。東日本大震災後のボランティアとして(石巻市の隣りの)南三陸町を訪れたのがきっかけでした。そこの語り部さんが、ボランティアで一時的に関わるだけでなく実際にここに住んでくれる人が増えてほしい、とおっしゃるのを聞いて、なるほどそういう関わり方もあるのかと。
私はそれまでずっと都会でバリバリ仕事をしていました。でも、都会の人・情報の多さや時間のスピードに疲れきってしまったんですね。身体を壊し、原因不明の難病と診断されて、当時は大阪のイベント会社に勤めながらも、「生きることの意味」を見つめ直していた時期だったのです。私は1995年の阪神淡路大震災を経験していて、そのとき受けた支援に少しでも「恩返し」したいというのが石巻に来た最大の理由です。でもそれだけでなく、自分のためだけに生きるよりも他人のためにに貢献する人生が送りたいと考え始めていたのも動機のひとつでした。
そこでまず、現地で自分のスキルが生かせる仕事を探したところ、石巻で活動していた米系NPOへ転職が決まりました。もっとも最初は1年契約だったので住民票は移しませんでしたが、その後もいろいろなご縁がつながり、長く働ける可能性が見えてきたため本格的に移住を決断したのです。
■巻組運営の「八十八夜」で初めてのシェアハウス体験
実は石巻に来た当初、まだ住む場所が決まっていませんでした。一時的に、ボランティアの受け入れをしていた施設に滞在しつつ家を探したのですが、当時は賃貸物件の選択肢がとても少なかったんです。勤め先から遠かったり、狭いのに高かったり。どうしたものかと思っていたところ、巻組さんがサブリース運営していた「八十八夜」 というシェアハウスを同僚の紹介で見つけました。市街地にあるお茶屋さんの2階です。
ここに住もうと決めた大きな理由は、大家であるお茶屋さんが1階で営業していたことですね。地域に知り合いがだれもいなかったので、ここなら地元の人と知り合いになれると思ったのです。また、シェアメイトの皆さんが私と同じように外から復興支援目的でU・Iターンしてきた人たちで、年代も近く、いろいろ情報交換できたのもよかった。いまの夫に出会ったのもここです。
八十八夜はそういう意味ではとても温かい場所だったのですが、物理的には冬はとても寒かったです(笑)。最初はお湯が出なかったり、大広間にも隙間風が吹いていたり。また男女でシェアしているのに風呂場のカギがなかったり、窓にカーテンがなかったり。巻組さんも当時はまだシェアハウスの運営を始めたばかりだったから、試行錯誤もあったのでしょうね。
でも普通の賃貸と違ったところは、巻組の渡邊さんが毎月シェアハウスの住民と面談し、居心地はどうか、不便なところはないかなどざっくばらんな話をする機会を設けてくれたことです。ここで私も遠慮せず問題点を指摘すると、部屋に断熱シートを貼ってくれたり暖房器具を増やしてくれたり、できる限り心地よい環境になるよう対応してくれました。
私自身、こういう状態の家に住むのもシェアハウスという形態も初めてでしたから、慣れるには少し時間がかかりましたけど、逆にこの経験のおかげでずいぶん逞しくなったと思います(笑)。もちろん、都会の立派なアパートと比べれば不便なところはありましたが、八十八夜での生活にはそれを上回る楽しさがありました。
(※Shared House 八十八夜は所在地の再開発に伴い2016年に運用終了しました)
■「買う」から「つくる」へ、ライフスタイルの180度転換
実際、石巻へ移り住んで私のライフスタイルは180度変わりました。それまでは典型的な大量消費型の生活。流行りの服やコスメに毎月何万円も使い、アフターファイブはデパートでショッピング。必要なものは「買う」ことしか選択肢がない暮らしでした。当然、生産者との接点はなく、自分の食べるものがどうやって作られているかなど知らないし、興味もありませんでした。
それが、石巻に来て最初の仕事先のNPOでたくさんの一次産業者と出会い、自分のそれまでの生活がどうやって成り立っていたのかを知ったら、「買う」だけでなく自分も「つくる」ことに携わりたいと考えるようになったのです。こちらで知り合った移住仲間たちが、みないろいろなチャレンジをしていることも刺激になりました。
それでまず自分の食べ物を自分でつくる、小規模な農業を始めました。また、狩猟をする知友人から(害獣として捕獲される)鹿肉を分けてもらえるため肉を買わなくなり、これも自分でできるようになろうと狩猟免許を取りました。まだ1頭も狩っていませんけれど(笑)。今夏には素潜りで魚を突くチャレンジも始めています。
そういう生活を始めてしばらく経つと、あの原因不明の難病はいつのまにか治っていました。一昨年は通っていた医者からついに、「もう来なくていいよ」とお墨付きをもらえたのです。こうして自然と調和して暮らすことこそ、「生きることの本質」だと確信しました。
それを積極的に発信しようと、2020年からmoritokiという屋号で事業を始めています。具体的には小規模な農業、夫と一緒に林業・木工業を営むほか、エシカルコスメといって天然素材でつくった化粧品を販売。巻組さん主催のツアープログラムなどではエシカルコスメづくりのワークショップも提供しています。
いま振り返ると、病を克服できたいちばんの理由は、「生きようという力」が湧いてきたことかもしれません。あれだけの災害に遭いながらそれでもこの土地で生きていくと決めた人たちや、被災地のために何かしたいと遠くからやってきた同年代の仲間たちからは、本当にたくさんの刺激をもらいました。それが、私も病気なんかに負けていられないという気持ちにさせてくれたのだと思います。
(2021年11月取材)